Think Future, Imagine Alternative, Create Real!中小企業をめぐる冒険

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当コラムについて
コラム「中小企業をめぐる冒険」では、様々な事象・現象を手がかりに、21世紀にふさわしい、有り得べき中小企業像・可能性のある中小企業の戦略ビジョン・実効性のある具体的方策を探す、思考の旅に出たいと思います。
問題意識
大きな環境変化が生じている今、機能不全・思考停止・変化への不適合を起こしている集団・個人は、衰退するしかありません。そんな危機的状況において、明日の日本社会・日本経済を担う新たな中小企業の台頭が望まれています。
日本の中小企業の更なる発展を目指して
TransNetCreation では、微力ではありますが、日本の中小企業の更なる発展に寄与するべく、当コラムを、企業理念の具現化や経営革新の実践に真摯に取り組まれている方々のお役に立てるものにしたいと考えています。

2012年06月01日

Column About SME & Management : 中小企業をめぐる冒険 vol.2

日本におけるデミング博士の過去・現在、そして・・・

中小企業をめぐる冒険
当サイトのブログ DIARY :: AROUNG THE CORNER個人的「デミング博士の再発見・再評価」 というエントリーでは、私における「デミング博士」との出会いについてまとめてみましたが(もちろん、実際の面識はありません)、その過程を通じて、私自身は、現代の日本企業においても、デミング理論や経営・組織・思考面でそれが拠って立つ認識的基盤・パラダイムは大きな可能性をもっている と感じるようになりました。そこで、今後はその理論・哲学の「中身」についてより深く探求していきたいと思っているところですが、これまでの私自身において、そして、現在の日本においても、デミング博士は誤解に基づく先入観のもとで捉えられているようですので、「現状認識が誤っている場合には、論理的には、それに基づいて構築される未来に向けた戦略も誤ってしまう」との認識のもとで、今回は、そこに踏み込む前段階として、また、現時点においての私の情報収集・知識整理の途中経過として、主に、日本におけるデミング博士の過去から現在に焦点を当ててまとめてみました。具体的には、デミング博士の存在・理論について、それには「品質管理の具体的技法・活動」「経営哲学(経営・組織・思考原理)」という2つの側面があると捉えた上で、その枠組みにおいて 日本においてはどのような経緯を経て現在どのような認識となっているのか という視点で構成しています(2012年6月25日再構成)。

日本におけるデミング博士の過去・現在、そして・・・

Section.1

はじめに:構成・要約

■はじめに
当エントリーは、経営・組織・思考面で「デミング博士の本質に向き合う」ことに可能性がある との見通しのもとで、
その検討のためには、前提となる「過去」「現在」を的確に把握しておく必要がある との認識において、
デミング博士の理論・哲学に踏み込む前段階 という位置付けとなっています。
ただ、若干長くなってしまったため、まず最初に、以下のように構成と要約を設けていますので、
エントリー全体を把握していただく際の参考としていただければと思います。
構成においては、タイトル「日本におけるデミング博士の過去・現在、そして・・・」に対して、
【3】が「過去」、【4】が「現在」に相当します。
「過去」「現在」と来れば、次は「未来」と行きたいところですが、
上述のように「未来」については今後の検討課題ということで 「そして・・・」としています。
とは言うものの、【1】の(5)(6)及び【2】の全体(1)〜(4)においては、
その「本質」としての「未来」の一端もお感じいただけるものと考えています。

■構成
【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面 
   <スライド2〜10>
【2】デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例:1980年代のフォード 
   <スライド11〜14>
【3】歴史の中におけるデミング博士:デミング博士に対する認識の変化 
   <スライド15〜23>
   [1]デミング博士と戦後の日本企業(1950年〜1980年頃)
   [2]「脱デミング」的な流れ(1980年頃〜1990年代後半〜2012年)
   [3]博士の訃報:果たされなかった再発見・再評価(1993年)
【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える 
   <スライド24〜34>
   [1]入手困難となっているデミング博士の著作
   [2]ビジネス書、経営学テキスト、品質管理テキストの一例
   [3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較
【5】まとめ・結論 
   <スライド 35>

■各章の要約
【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面
デミング博士には、「品質管理の具体的技法・活動」「経営哲学(経営・組織・思考原理)」という2つの側面があることを
図式的枠組みに基づき把握した上で、歴史的事実などから博士が後者を重視していた点を確認する。
そして、その枠組みに基づき、博士の理論を理解するという課題とその意義を確認する。
【2】デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例:1980年代のフォード
デミング博士がコンサルティングした最も有名な事例である1980年代のフォードについて、
経営者の思考やマネジメントにおける革新から、その「経営哲学」の具体的展開をイメージする。
【3】歴史の中におけるデミング博士:デミング博士に対する認識の変化
現在の日本では、デミング博士の「経営哲学」についての認識はほとんど無い(と思われる)が、
そこに至るまでの経緯を追うことにより、何故、どのように、そうなっているのかを確認する。
【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える
デミング博士に関する出版状況から、現在、博士に対する興味・関心・認識がどのようになっているのかを確認する。
また、米国におけるデミング博士およびドラッカー博士の著作についてのデータを比較し、
米国におけるデミング博士の「経営哲学」への関心の高さを確認することで、日本におけるその現状を相対的に把握する。
【5】まとめ・結論
以上、確認してきたことをまとめて、現代におけるデミング博士の「経営哲学」の有用性を認識し、
今後に向けて、日本においても、再度、「経営・組織・思考原理」としてのデミング博士の思考に向き合う必要がある
との結論を再確認する。(*1)


*1:当エントリーは、「デミング博士の再発見・再評価」という点においては、武田修三郎先生 の『デミングの組織論』や
   吉田耕作先生 の『国際競争力の再生』『ジョイ・オブ・ワーク』の卓見に触発されたものです。
   とは言え、その解釈や構成に誤りがあるとすれば、その責は、当然、私にあります。


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Section.2

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(1)

デミング博士には「品質管理の具体的技法・活動」と「経営哲学」という2つの側面がある
ブログ・エントリー 個人的「デミング博士の再発見・再評価」 では、デミング博士の存在・理論に対する認識の変化を、
「モノ作り(アウトプット)論」としてのデミングではなく、「組織(プロセス)論」としてのデミング
と記述したが、この表現において、前者は一般的認識、後者は本質的認識ということである。
ただし、この場合の一般的認識は、歴史的な経緯を経て、誤解や曲解に基づいて形成されたもの であり、
それが、本質的認識を阻害する、先入観、憶断、予断に繋がっていた ということになる。
その先入観等を含めて、デミング博士について考えるときに非常にややこしいのは、
デミング博士自身の本来的認識(それを第三者がどう理解するのかということも含めて)」、
それを受けた「現実の企業活動における展開・認識」、それと対応した「学術領域における展開・認識」、
メディア等を通じて流布・形成される一般における認識」などが、複雑に絡み合ってくるという点である。
そこで、ここでは、できるだけわかりやすくということを念頭に、それらを次のように単純化して整理してみた。

まず、博士自身の本来的認識については、現段階における私の理解として、ここでは、次のように把握した。
■デミング博士自身の本来的認識
(A)モノやサービスの「質」を構築・向上するための、「統計学」に基づく「品質管理の具体的技法・活動」
(B)「質」をキーとして、企業活動全体を一体化・統合化・最適化するための「経営哲学(経営・組織・思考原理)」
ただし、博士においては(=正確には、「博士の認識」についての現時点における私の認識、ということであるが)、
(A)は(B)に基づいて展開される必要があるため、厳密にはこのような区分は正確ではないし、
本質的にはそれらは一体不可分のものであると思われるため、便宜的な区分という扱いである。
その上で、これに対応する企業能力を考えると、次のように表現することができる。
■企業能力
(A)企業活動全体の中の「オペレーション」レイヤーにおける「品質力」
(B)企業活動全体の中の「マネジメント」レイヤーにおける「経営力・組織力・思考力」
さらに、ここではデミング理論に焦点を当てるということで、学術領域と対応させて表現すると次のようになる。
■学術領域
(A)デミング理論の工学的展開(デミング・エンジニアリング)
(B)デミング理論の経営学的展開(デミング・マネジメント)
Section.3

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(2)

「品質」には、定量的「設計・製造・使用品質」と定性的「企画品質」がある
また、先に進む前に、「品質」という言葉・概念についても整理しておきたい。
「品質」とは、「品質管理」のテキスト一般では、「企画品質」「設計品質」「製造品質」「使用品質」の4つに区分され、
(この区分や名称は、テキストや学者によって微妙に異なる)
「オペレーション」「工学」として「品質管理」においては後者3つが対象とされる。
これを上記の(A)(B)の枠組みにおいて位置付けるとすると、次のようになる。
■品質概念
(A)「設計品質」「製造品質」「使用品質」
(B)「企画品質」(特に「新規ドメインへの進出」「ブルーオーシャンの創造」を目指す、新規の商品・サービスの場合)
各々については、製造業を考えた場合には、概ね、次のような内容になる。
(B)「企画品質」:顧客が要求する品質=コンセプト、イメージ、基本機能、基本性能、外観、価格など
(A)「設計品質」:「製造」の目標として狙った品質=「ネライの品質」
(A)「製造品質」:製造した製品の実際の品質(「適合品質」とも呼ばれる)=「結果の品質」
(A)「使用品質」:使用者が要求する品質=「市場の品質」:一般的には「製造品質」のばらつきの下限以下に設定される
考え方としては、「企画品質」はマーケティングそのものと言って良く、これがスタートとなり、
それをオペレーションの現場でコントロールしつつ具現化していく際の品質概念が他の3つということになる。
(B)は、顧客が要求している「真の特性」に対応しており、基本的には 定質的性質 のものであるが、
(A)は、「真の特性」の原因としての「代用特性」であり、それを 物性値化 した 定量的性質 のものである。
また、(B)は「何を(提供するのか)」に対応し、(A)は「どのように(具体化するのか)」に対応している。
ただし、ある商品・サービスがジャンルとして既に確立し対応事業部門が設置されている場合には、
「企画品質」も、「企業全体」のレイヤーではなく、当該事業部門という「サブ・システム」のレイヤーの担当となろう。

また、世間一般における「品質」という言葉を考えると、それは(A)の中でも「市場品質」ということになるが、
更に「品質管理」と言った場合には、故障しない・長持ちするなどのより狭い意味として捉えられているように思われる。
Section.4

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(3)

デミング博士の存在・理論は、一面的に、かつ、矮小化・誤解されて認識されている
ここで、この枠組みにおいて、「「モノ作り論」としてのデミング」という一般的認識(=先入観)を考えると、
それは、概ね(A)に対応していると言えるが、その中でもそれを 製造業に限定して捉える認識である と言える。
しかしながら、博士の本来的認識においては、
企業活動における「質」という概念の範疇には、「モノ」だけではなく「サービス」も含まれており、
その点が、ウォルター・A・シューハート博士 の理論を発展・拡張させた、デミング博士の功績の1つとされている。
ただ、それが日本に導入された際、当時は、日本も含めて世界経済全体が、
第二次産業中心の「工業社会(産業社会)」であった、そして、それに対応して、
「製造業」において積極的に展開された、かつ、「工学」において高度に発達した、という歴史がある。
ただし、一部の企業の現場では1950年代中・後半という非常に早い時期から始まっていたと言われる「QCサークル活動」は、
それが盛り上がるにつれて、1970年代前半頃から、製造現場のみならず、
製造業の事務・販売部門やサービス産業へと波及していったようである(『日科技連創立五十年史 第三部(p.298)』)。
しかし、1979年から始められた日本科学技術連盟主催による「事務・販売・サービス部門のQCサークルコース」は、
「最盛期には年間9回も開催したが1990年代に入り急激に参加者が減少し1994年度をもって休止した 」とあるように、
(『日科技連創立五十年史 第一部(p.164〜165)』)
1990年代前半には企業における取り組みが低下してしまったようである(時期的にはバブル崩壊の影響も考えられるが)。
以上から、「「モノ作り論」としてのデミング」という一般的認識が形成・流布されるようになったのには、
高品質を強みに世界に躍進した、自動車や家電などの、日本の製造業の強烈なイメージとともに、
このような 日本における「品質管理」の導入・発展の歴史が大きく影響している ように考えられる。

また、厳密には、博士において(A)は、
既にその過程に着目する「プロセス論」なのであるが(その点が、経営理論においての博士による革新である)、
一般的なそれは、結果にのみ着目する「アウトプット論」や 現場作業における「作業管理論」のように、
さらに 非常に矮小化された、全く逆のイメージやニュアンスを伴っている ようにも見受けられる。
つまり、日本の一般的な認識において、デミング博士は、一面的に認識されており、かつ、
その一面においても、さらに矮小化・誤解され、本来の姿とはかけ離れた認識となっているということである。
Section.5

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(4)

デミング博士は、米国においては、「脱工業化社会」の時代に再発見・再評価された
一方、当エントリーの後の議論を先取りして言えば、米国においてデミング博士の理論は、日本におけるのとは異なり、
製造業だけでなくサービス業や公的機関にも積極的に導入されているが(吉田耕作氏などによる指摘)、
それには、米国において「デミング博士の再発見・再評価」の機運が生じた1980年前後が、
既に「脱工業化社会」と言われるような 第三次産業中心の経済・社会となっていた ことも
大きく影響しているように思われる。
また、米国においては、(A)品質管理の具体的技法・活動というよりも、
(B)経営哲学に対して非常に多くの関心・評価が寄せられているようであるが(この点については【4】で詳述)、
それには、博士の理論をベースに日本企業において大きく発展・進化した品質管理への取り組みに関する
1950年〜80年頃までの約30年間に渡る研究に基づき、それをより(B)マネジメント面において展開した
博士の著作『Out of the Crisis』(1982年出版、当時は別タイトル)が大きく影響しているように思われる。(*2)
その点も、サービス産業などの積極的な取り組みを後押しする要因の1つになっているように考えられる。


*2:デミング博士は、良く知られているように、経営における「PDSAサイクル」の重要性を指摘していた わけですが、
   上記のように、博士の「弟子」である日本企業による実践・研究からも学んでいた(『デミングの組織論』)ということは、
   博士自身が、自らの理論や思考についてもPDSAサイクルを回していた ということを意味しています。
   とすると、この著作においてまとめられた「マネジメントのための14の原則」(=「デミング14ポイント」)とは、
   約30年間(1980年当時において)という時間と現実の荒波にもまれ、その変化の中で淘汰されずに進化・到達した、
   デミング博士の思考の到達点・エッセンスである(その後に『デミング博士の新経営システム論』もあるが)、と同時に、
   約30年間の日本企業における品質管理・経営の到達点・エッセンスである、とも言えます。
   それは、デミング博士自身は、その思考を(A)「オペレーション」面・「工学」面で発展・進化させるというよりも、
   より(B)「マネジメント」面・「経営学」面で発展・進化させた ということも意味しています。
   (日本では、当初は(A)(B)の両面で発展・進化したが、後者においてはその後退化してしまった)
   博士のセミナーを長年にわたり補佐した吉田氏は、その意義を次のように書いています(『ジョイ・オブ・ワーク』)。
従来、QC の関係者のみに占有されていた高度な技術的考え方を、
あらゆる組織の経営の基本として応用できる形にまとめあげたことが、「デミング14ポイント」の意義である。
   これについては、『デミングの品質管理哲学』の著者ナンシー.R.マン氏は、
   その根底には「長期重視」「質重視」という2つの理念がある
   吉田氏は、「全体観重視」「人間尊重」「PDSAサイクル」「統計的手法」という4本柱、として考えておられます。
   「デミング4日間セミナー」(1980年から博士が亡くなる直前までの約13年間に渡って開催され約20万人が参加した)は、
   吉田氏によると、この「デミング14ポイント」の解説という位置付けであり、
   博士は、聴衆が質問すると逆に質問する形でその人に考えさせるという教授法を採っていた、
   ということからも、そのように、自ら考えて自ら答えを見出すというアプローチが必要であるのかもしれません。
Section.6

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(5)

デミング博士は「経営哲学」としての「経営・組織・思考原理」を重視していた
既に検討したように、日本では、デミング博士は(A)オペレーション面で捉えられ、さらに、そこに矮小化や誤解が存在した。
しかしながら、吉田氏や武田氏などが取り上げた以下のような事実から、
博士自身は、マネジメント面において(B)「経営・組織・思考原理」を非常に重要視しておられたことがわかる。
1950年7月11日、博士の日本企業に対する初めての本格的講義となった「8日間セミナー」の2日目に、
博士は「自分は日本人にシステムと協力を教えた」とのメモを残している。
(武田修三郎氏著『デミングの組織論』より)
1986年に、弟子である吉田耕作氏による、
日本は競争原理だけに基づかず、競争と協調をうまくバランスすることにより今日の成功を得た」とする
『日本の生産性の根源〜競争と協調』という論文を読んだ博士は、
即座に「この論文は米国を変える。米国は君を必要としている」として、
吉田氏を「デミング4日間セミナー(質と生産性と競争力)」の助手に任命した。
(吉田耕作氏著『国際競争力の再生』より)
年に20回前後開催されていたデミング4日間セミナーにおいて、
1986年以降、1993年に博士が死去されるまで博士の補佐役を務めた吉田氏によると、
米国のセミナーにおいて博士が説いたのは、QC の具体的技法・活動というよりも、
ありとあらゆる人間の形成した組織にあてはまる経営原理」であった。
(吉田耕作氏著『国際競争力の再生』より)

また、「品質の統計的管理8日間コース(1950年)」の要約資料からも、次のようにこの点を確認することができる。
品質管理というものは8個の扇形からなる車輪のようなものだと私は考えております。
これらのどれが欠けても品質管理の車輪はまわることができません
製造者たるものは自分の仕事を永続させたいなら
5番目(諸君がこれから8日間に勉強されるのは主として5番目であるが)ばかりでなく、
8個の扇形全部にわたる広義の品質管理について深く考える必要があります
(『日科技連創立五十年史 第一部(p.32〜33)』(初出は「品質管理」vol.1, No.6, 1950))
※ただ、博士は、その後箱根で行われた経営者向けの「経営者のための品質管理講習会1日コース」においては、
 良く知られている、通常の「PDSAサイクル」を教授したようです(「品質管理」vol.1, No.7, 1950)。
ここで「5番目」とは「製造の経済(=製品をできるだけ安く可能な最低のコストで製造する努力)」のこととされており、
デミング博士は、下図のような「品質管理の車輪」として描かれた企業全体を「広義の品質管理」として捉えて、
(上記及び他の記述からも)その一連のプロセス全体(=システム全体)の一体性を重視している と理解できる。

Ring of Quality Control

さらに、博士は、次のように、1993年に死去されるまで、新しいスタイルの「マネジメント」への変革を志向して、
遺作となった著作『The New Economics for Industry, Government, Education』の第一版に手を加えていたことからも、
(翻訳書のタイトルは『デミング博士の新経営システム論〜産業・行政・教育のために』)
それが、博士にとっての終生のテーマであったことが窺える。
父は1993年にこの世を去るまでずっと、
本書『新経営システム論ー産業・行政・教育のために』第二版のために、原稿に修正を加えていた。
第二版では第一版を読んだ読者からのコメントを、出来る限り直接反映し、よりわかりやすい形にしようとした。
しかし父は、相変わらず、
新しいスタイルのマネジメントへと変革するために必要となる知識を与えることに焦点を合わせている。
この変革への道は、この本の中で概略が述べられている「深遠なる知識のシステム」を適用することである。
(ダイアナ・デミング・カーヒル氏、リンダ・デミング・ラットクリフ氏の連名による同書の「はしがき」からの抜粋)
Section.7

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(6)

デミング博士は、「設計・製造・使用品質」だけでなく、「企画品質」も非常に重視していた
また、デミング博士は、「品質概念」についても、「8日間セミナー(1950年)」における次の指摘のように、
「オペレーション」「工学」における品質としての(A)「設計品質」「製造品質」「使用品質」のみではなく、
顧客が求める品質としての(B)「企画品質」の重要性を非常に強調していた
1000個の製品が全部大きさや品質の規格に合格しても、
買った人を喜ばすことができなければ、これらは全部不良であります
(『日科技連創立五十年史 第一部(p.32〜33)』(初出は「品質管理」vol.1, No.6, 1950))
※前段「規格に合格」は(A)に対応し、後段「買った人を喜ばす」は(B)に対応している。
この点は、後でも触れるが、1950年当時においての「マーケット・イン」概念の提唱 として、非常に先駆的であると思われる。
実際に、博士の日本科学技術連盟との関わりにおける2回目の来日においては(1951年)、
製造に関わる品質管理とともに、市場調査における統計的手法がもう一つの講演テーマであった。
この時の日本企業の取り組みが、世界的に見てどの程度の水準でどの程度の先進性があったのかはわからないが、
それ次第では、デミング博士は、日本企業の「製造品質」の向上に寄与したとの定説に加えて、
当時の日本企業の「企画品質」の卓越性にも寄与した、ということになるかもしれない。

ここで、現代企業にとっての大きな経営戦略目標としての「ブルーオーシャン」の創造 を考えると、
買い手や自社にとっての価値創造と競争のない未知の市場空間の開拓」を目指して(=ブルーオーシャン戦略の定義)、
非競争状態となる新しい製品・サービス分野(=ブルーオーシャンの定義)」としての「企画品質」の創造のために、
(B)企業全体のレイヤーにおいて、「全社的取り組み」が必要となる(=ブルーオーシャン戦略遂行の際の要諦)。
私には、この点においても、デミング博士の「経営哲学」の大きな価値があるように思われる。
(※ブルーオーシャン戦略については、オンリーワン戦略としてのブルー・オーシャン戦略 を参照)
Section.8

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(7)

仮説:マネジメントにおけるデミング的「経営力・組織力・思考力」が劣化・低下した
この枠組みに基づいて、吉田氏や武田氏の問題意識を共有し、私なりに展開すると、
かつて高品質を強みに世界的に躍進した日本企業の「強み(Strength)」は、
(A)「オペレーション」レイヤーにおける「品質力」(=「設計・製造・使用品質」)だけではなく、
(B)「マネジメント」レイヤーにおける「経営力・組織力・思考力」(=「企画品質」)にもあったのではないか。
そして、いつ頃からか、何故か、
(B)「マネジメント」レイヤーにおける「経営力・組織力・思考力」が劣化・低下してきたのではないか。
故に、「信じられない閉塞状態(武田氏『デミングの組織論』)」から復活に転じるためには、もう一度、
(B)「経営・組織・思考原理」としてのデミング経営哲学に向き合う必要があるのではないか。
ということになる。
Section.9

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(8)

ドラッカー博士同様に、デミング博士の言葉からその含蓄・洞察を考える
(B)「経営・組織・思考原理」としてのデミング博士の思考に向き合う とは、卑近な喩えとしては、
私たちが、ピーター・ドラッカー博士の言葉からその含蓄・洞察を考えるのと同じように、
デミング博士の言葉からその含蓄・洞察を考える ということになろう。
デミング博士は、企業における統計技術者の役割を重視していたが、それ以上に、経営者の役割を最重視していた
それは、博士が、著述活動よりも、経営者を対象とした講演活動やコンサルティング活動を優先していたことや、
米国におけるコンサルティング活動はクライアント企業の経営者のコミットメントが受諾条件となっていたことからも窺える。
そして、博士の遺作となった『デミング博士の新経営システム論―産業・行政・教育のために』は、
決してわかり易いとは言えないが、経営者に向けて書かれた博士からのラストメッセージのようにも思われる。
1900年10月14日生まれ博士は、まさに 20世紀の経済・社会の目撃証人 のように、
第二次世界大戦中の米国、第二次世界大戦直後の日本、1950年以降の日本企業・日本経済の急成長、
1980年以降の米国企業・米国経済・米国社会の再生などの歴史的現場に立ち会ってこられたわけであるが、
フォードを始め、数多くの企業を復活へと導いたその実績を知ると、「統計学」「品質管理」の大家であると同時に、
実際には「20世紀で最も偉大な」という形容詞が決して大げさではない敏腕の「経営コンサルタント」でもあり、(*3)
マネジメントを考える者であれば、「その思考の本質とは一体何なのだろうか」と考えざるを得ない人物であるはずである。


*3:博士は、フォード、 GM のコンサルティングに従事されたことから、裾野広い自動車産業に大きな影響を与えています。
   また、デミング経営哲学にもとづいた経営によって飛躍を遂げた企業には、有名企業としては、
   ゼロックス、ボーイング、IBM、P&G、ダウ・ケミカル、GE、フェデラル・エクスプレス、HP などがあるようです。
   (『ジョイ・オブ・ワーク』より)
Section.10

【1】デミング博士の存在・理論の2つの側面(9)

博士の理論は、まさに「現代」のものであり、その上に「未来」が構築される
そのような博士の理論は、米国においては、製造業だけでなくサービス業や公的機関にも積極的に導入され、
また、IT企業のコアコンピタンスであるソフトウエア開発の方法論の中にも採り入れられている。(*4)
私見では(まだ探求が不足しているが)、IT企業においては、「オペレーション」のレイヤー(A)だけではなく、
「マネジメント」のレイヤー(B)にも採り入れられているのではないかとも思われる。(*5)
とすれば、博士の理論は、「過去のもの」でもなく「モノ作り」に限ったものでもなく、まさに「現代のもの」である。
もしくは、デミング博士の「質」的マネジメント・レイヤーを基盤として、
更にその上に「現代のもの」「未来のもの」としての新しいマネジメント・レイヤーが創造されつつある、ということになろう。
そこでは、もちろん、その基盤がなければ、その上に構築されるものは「砂上の楼閣」に過ぎないということになってしまう。
つまり、「現代」そして「未来」のマネジメントにおいては、デミング博士を避けて通ることはできない、と思われる。

統計学における深い知見をベースとして、数多くの企業へのコンサルティング実務経験に裏付けられたデミング博士の思考は、
個人や組織についてその存在・活動を「全体的」「包括的」「動態的」「流動的」に捉える ため、
社会生態学者としてのドラッカー博士とはまた異なる面において社会生態学的であるとも言え、
私も現在探究中であるが、非常に広くて深い射程を持つ、大きな可能性を有するものであるように感じられる。


*5:IT企業においては、例えば、Facebook 社(上場に際してのザッカーバーグ氏のメッセージ)や
   ドワンゴ社(エンジニアを中心に実施)などのように、全社的にハッカソンを実施している企業も多いようです。
   (「ハッカソン」および「全社的ハッカソン」については、Publickey さんの記事 が参考になります)
   ハッカソンは、「統計的手法」とは全く関係はありませんが、
(ソフトウエア開発においての)問題・課題の創造的解決を目指して、
参加者(全社的ハッカソンの場合は組織構成員)がもつ知識・知恵・思考の最大限の発揮を促し、
また、その新たな組み合わせによる革新(イノベーション)を促す
   というその主旨は、デミング博士の(B)経営・組織・思考原理のエッセンスそのものであり、
IT企業のコアコンピタンスとしてのプログラミングにおける全社的「QCサークル活動」のようなものである
   との観方も成り立ちます。
Section.11

【2】デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例:1980年代のフォード(1)

経営・組織原理が、「テイラー」から「デミング」へと進化した
次に、特に上記(B)について具体的にイメージするために、デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例として、
1980年代初頭に経営危機に陥った フォード・モーター・カンパニー が、デミング博士と共に変革を成し遂げる際に、
マネジメントのレイヤーにおいて何が起こったのかについて、簡単に触れておきたい。

アンドレア・ガボール氏著『デミングで蘇ったアメリカ企業』によると、
変革を主導した当時の社長 ドナルド.E.ピーターセン氏 とデミング博士は、議論を重ねる中から信頼関係を構築し、
そのような議論の中から、1983年に、フォードの変革の根本であり始まりとなる新しい経営理念を創造したとのことである。
二人(=フォードの社長ピーターセン氏とデミング博士)はフォードの新しい企業理念をまとめあげ、
これを「フォードの使命、価値観、行動指針声明」という文書にし、品質や顧客を利益よりも重視した。
そして、そのピーターセン氏については、
ピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト、ヘドリック・スミス氏 著『アメリカ・自己変革への挑戦』に、
次のような、非常に驚くべき、衝撃的な記述がある。
デミングに刺激されて、彼は、大量生産の経営哲学をひっくり返した。
そして、フレデリック・ウィンスロー・テイラーの理論を否定し始めた。
テイラー主義に対するピーターセンの見方は180度変わった。
彼の言葉を借りれば、彼は、テイラーをアメリカの企業経営者にとって
「おそらく最も損失を与えた人物」と見るようになった。
テイラー とは、現代経営学の萌芽ともなった「科学的管理法」の提唱者のことであるが、
同書においては、象徴的に、次のような位置付けとなっている。
テイラーは、時間・動作式経営の専門家で、彼の理論と教えは過去数十年にわたって、
アメリカ式経営の不変の大綱であった。
テイラーは、すべての権限を経営者と生産技術者に与え、
労働者を単なる機械の延長として扱う、機械主義的精神を説いた(からである)。
Section.12

【2】デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例(2)

デミング博士は、経営者の思考に「コペルニクス的転回」をもたらした
これは、経営者であるピーターセン氏の思考おいて、
そして、フォードという、経営学においては「フォーディズム」を生み出した企業として知られる、
歴史のある超巨大なグローバル・カンパニーの組織・経営において、
「天動説」から「地動説」への移行とも言える、真の意味での コペルニクス的転回 が起こったことを示している。
逆に言えば、そのような経営・組織・思考原理の根底からのパラダイム転換があったからこそ、
窮地にあった同社の復活・再生が実現したとも言える。
具体的には、同社は、1980年〜1982年にかけて非常に大きな赤字を計上し危機的状態にあったが、
その再建を託されたピーターセン氏らによる変革の結果、
1986〜87年には、おおよそ60年ぶりにGMを上回る利益を計上するまでに至ったわけである。
当初は、緊急事態への対応として、外科治療的な、工場閉鎖や人員削減も行われはしたが、
顧客から大きな支持を得る「トーラス」などの車種の開発に成功し、売上・利益の回復に繋がったのは、
ピーターセン氏らによる、根本的・体質改善的な、経営・組織・思考原理の一大転換があればこそであった。
ここでの新車種の開発とは、品質管理面では、顧客満足となる「企画品質」の設定と「設計・製造・使用品質」の実現である。
以前のフォードは、この両面において、日本企業に大きく後れを取り、ユーザーの支持・信頼を失っていたが、
博士の助力を得たピーターセン氏らの主導による変革が奏功し、それを回復したわけである。
「危機」とは「危険(Threat)」であると同時に「機会(Opportunity)」でもある。
つまり、ピーターセン氏らは、企業戦略論的(SWOT分析的)には、象徴的表現としては、
「(財務的・企業存亡的)危険」を回避するために、「テイラー・パラダイム」という「弱み(Weakness)」を低減し、
「デミング・パラダイム」という「強み(Strength)」を導入するという「(博士との出会いによる)機会」を具現化した
ということになる。
Section.13

【2】デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例(3)

マネジメントが「全体最適」を志向するようになった
その結果として、『デミングで蘇ったアメリカ企業』には、
次のような、変革後のフォードのマネジメントの姿が描写されている。
さまざまな部門を代表するトップ・エグゼクティヴたちは、
1960年の興隆期には同僚を出し抜くことばかり考えてきた人びとである。
そうした人びとが、定期的に会議を開くようになり、品質の優先順位を定め、社内作業の標準化を確立して、
顧客のニーズに確実に応えようと努力し始めたのである。
つまり、デミング経営哲学に基づくピーターセン氏らによる変革により、フォードのマネジメントが、
「質」を中心として、「顧客」という外部の視点も取り込み、対外的かつ対内的な「協力」の論理に基づき、
個人最適・部分最適ではなく、「全体最適」を志向する「システム」として自律的に機能する
(上記には「対外的協力」についての言及はないが、実際には、フォードはその面でも変革を成し遂げた)
というように、マネジメントにおいて「質」的により高度なものへと進化した、わけである。(*6)(*7)
これは、1980年代後半のフォードのマネジメントについての記述であるが、
デミング経営哲学が目指すこの典型的なマネジメントの在り方は、
1950年代〜70年代に品質管理に取り組んだ多くの日本企業が創造・到達したマネジメントにも
当てはまる記述のように思われる。(*8)

以上を踏まえて、企業能力について、【1】で検討した枠組みを思い起こすと(再掲)、
■企業能力
(A)企業活動全体の中の「オペレーション」レイヤーにおける「品質力」
(B)企業活動全体の中の「マネジメント」レイヤーにおける「経営力・組織力・思考力」
フォードのこの典型的な事例においては、(A)(B)両面が相補的に達成されている様子が見て取れる。


*6:武田氏は、このヘドリック・スミス氏による講演を聴講した際に「デミングの再発見・再評価」に至ったということです。
   その講演の内容は、スミス氏の著書『アメリカ・自己変革への挑戦』に基づくものであったということですから、
   私が察するに、このフォードの変革過程についての経緯が、武田氏に問題解決に繋がる認識をもたらしたように思われます。
   というのは、私自身も、この部分を読んで、武田氏が『デミングの組織論』で言わんとすることを、
   私なりに認識できたからです。
   また、その講演を主催したのは、ピーターセン氏のもとで働き、氏に続いてフォードの社長となり変革を更に推し進めた
   ヘラルド・ポーリング氏 が議長を務める産学連携推進団体であったということです。
   デミング理論は、1950年に日本に入り、その後、日本の多く方々の尽力やデミング賞などを通じて発展・拡大しますが、
   1970年代の リコー(1975年「デミング賞実施賞」受賞)の取り組みが、米国の ナシュア・コーポレーション を触発し、
   デミング博士の実際の指導を受け入れたナシュアの成功(1980年頃)を視察したフォードの経営陣は、
   自社の再建のためにデミング博士のコンサルティングを受け入れる意思決定(1981年頃)をします。
   それが、その約15年後の1996年に変革当時のフォードの経営者とそれを取材したジャーナリストを通じて武田氏に伝わり、
   その核心的問題意識を直撃しそれが2002年の『デミングの組織論』の出版となり、
   更にその約10年後となる2012年の今・ここに至る、という流れになります。
   また、私は、昨年来、リコーの「デザイン区」が発案したとされる GXR というデジタルカメラを愛用しているわけですが、
   もし、リコーという企業の中に今もデミング哲学が生きているとすれば、
   また、それを発案した「デザイン区」などという組織体制がデミング哲学に由来するものであるとするなら、
   私は、リコーという会社やその GXR という製品を通じて、デミング哲学と出会っていたことにもなります。
   (「GXR MOUNT A12」に込められた RICOH の心意気個人的「デミング博士の再発見・再評価」
   そして、私に付け加えることがあるとすれば、武田氏が恐らくそうであったように、また、私がそうであったように、
   上記した、1980年代のフォードにおいて「リーダーであったピーターセン氏の思考に何が起こったのか」を考えることが、
   「デミング経営哲学」を理解することの1つの鍵になるように思われる、ということです。
   『アメリカ・自己変革への挑戦』には、ピーターセン氏に関して、次のような記述もあります。
彼は、フォードの経営面に波及していった改革の中で、自分が果たした役割を誇ることはなかった。
「私は、フォードで起こった最も重大な変化について語る資格はありません。
なぜなら、それは私抜きに起こったからです」と彼は言う。
「私はその場にいませんでした」
   その後スミス氏は「ピーターセンの謙遜は、アメリカのCEOには見られないものだ」と続けますが、
   これは「経営者に必要なのは真摯さである」としたドラッカー博士の洞察にも合致すると同時に、
   武田氏的な問題意識においては、それ以上のものであるように思われます。
   (もしくは、ドラッカー博士も、同じような認識に至っていたのかもしれませんが)
   というのは、これは、ピーターセン氏の「個性・人格」のレイヤーにおける事柄としてだけではなく、
   ピーターセン氏の「思考」のレイヤーにおける事柄として捉えるべきではないか、ということです。
   つまり、ピーターセン氏は、その「思考」において深くデミング哲学を理解し自分のものとしていた、
   ピーターセン氏はデミング博士の「思考」を自らの身体化していた、とする観方です。
   蛇足ですが、今危機にある、日本のかつてのエクセレントカンパニーに求められているのも、
   「直観的」にコペルニクス的転回のできる人物というよりも、このピーターセン氏やポーリング氏のように、
   徹底的に「論理的」に思考することにより、自らをコペルニクス的転回のできる人物ではないか、と思われます。
*7:フォードは、デミング博士のコンサルティングを受け入れて変革に成功したナシュアを見て、
   自らもそうする意思決定をしたわけですが、『デミングの品質管理哲学』によると、
   そのナシュアで当時の社長であったウィリアム・コーンウェイ氏は、デミング博士の功績を、
   「第三波産業革命」をもたらしたものとして認識しています。
   ここでは、『デミングの品質管理哲学』から、著者マン氏による、次の記述を引用させていただきたいと思います。
産業革命を始動させたのは、ジェイムズ・ワットであると考えるのが正当であるとされている。
ヘンリー・フォードは流れ作業方式を導入して、その産業革命を第二段階に推し進めた。
ヘンリー・フォードがまさにそれをはじめようとしたときに生まれたウィリアム・エドワーズ・デミングは、
昔からの測定、伝達、協力といった概念を基礎とする単純な哲学によって、
その第三段階、ウィリアム・コーンウェイの命名によれば「第三波産業革命」を生み出した。
   本文で触れたフォードのピーターセン氏の観方は、
   コーンウェイ氏によるこの認識の影響を受けているようにも思われますが、
   とすると、フォードにおける変革の成功は、
   このコーンウェイ氏の認識の確かさを逆に証明しているものとも捉えることができます。
   上記の記述の中にも見受けられますが、米国で1985年出版されたこの書籍(日本では1987年に翻訳出版)は、
   自身も統計学者である著者マン氏のデミング博士への同行取材をベースに、様々なエピソードから、
   その日本語タイトルのように、デミング博士の理論の哲学的側面(=(B)経営・組織・思考原理)に焦点を当てています。
   著者は、当初は統計学的側面(=(A)品質管理の具体的技法・活動)に焦点を当てるような企画であったのを、
   最初の情報収集において自らが拠って立つ「西欧文明」が当時大きな岐路にあることを認識し、
   日本の成功要因を博士の哲学を受け入れたことであると捉えて、上記のように編集方針を変更したとのことです。
   この書籍が、米国においてどのような評価を受けたのかは定かではありませんが、
   日本の専門家の方においては、(具体的言及は避けますが)軽く受け流されてしまったような気配があります。
   また、1980年代後半というバブルの最盛期にあっては、経営者、経営学系の研究者、一般の読者においても、
   「今さらデミング博士、今さら品質管理でもないだろう」という感じだったのでしょうか。
   とするなら、今から振り返ると、この時には既に、日本企業においては、
   マネジメント・レイヤーにおける、デミング的な「経営力・組織力・思考力」の劣化・低下が進行していた、
   ということなのかもしれません。
   そして、それから約四半世紀後の現在においては、かつて手本とされたその日本の「文明」も大きな岐路にあるようです。
   30年程前に危機にあった米国は、その「危険」を回避し、それを「機会」と捉えて、変革を成し遂げたわけですが、
   その合わせ鏡のような立場にいる今の私たちにおいても、戦略レベルで同様のことができるのか、ということになります。
   (しかし、武田氏は、『フロニーモスたち』(2009年)において、その米国さえもが、
    「彼らはデミングが訴えた思考を、僅か10余年保つ勇気しかなかったのである」と指摘しています。)
*8:武田氏は、『デミングの組織論』で、
   日本科学技術連盟の月刊誌『品質管理』の1953年8月号〜54年3月号の連載「経営者は語る」を参照して、
   品質管理に取り組んだ当時の日本企業の経営者の方々が、博士の言う「システムと協力」をベースに、
   自らの経営論を独自に進化・発展させていた点を指摘しています。
   そこには「生物のように組織化された複合体」「フィードバック」「サイバネティックス」などの言葉が登場し、
   それがデミング博士の日本で最初の講演から約3年後ということを考えると、その経営論の進化の速度には驚かされます。
Section.14

【2】デミング経営哲学に基づく企業変革の典型的事例(4)

「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」により卓越した「企画品質」が実現される
ここで現代企業を考える時には、「どのように作るのか・行うのか」という「製造品質」については言うまでもないが、
特に今の日本企業に求められているのは、「何を作るのか・行うのか」という「企画品質」であるように思われる。
つまり、市場において「ブルーオーシャン」を目指すとした場合であっても、
その製品、サービス、ユーザー・エクスペリエンスなどは、内部的には、まずは「企画品質」として設定されるわけであり、
これを如何に独自的かつ付加価値の高いものとし強い求心力をもって顧客を惹きつけるかが、問われているわけである。
私見では、デミング博士の理論においては、非常に単純化すると、
より優れた「企画品質」を設定するためには、「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」が必要となる
というロジックであるように思われる。
ここで「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」とは、前セクションで見たように、
「質」を中心として、「顧客」という外部の視点も取り込み、対外的かつ対内的な「協力」の論理に基づき、
個人最適・部分最適ではなく、「全体最適」を志向する「システム」として自律的に機能する
ということである。
これは、具体的には、例えば、
マーケターなどが大きな潜在的需要を捉えた斬新な商品・サービスのコンセプトやアイディアを創造したとしても、
(=革新的な「企画品質」を創造したとしても)
それが革新的であればあるほど、つまり、ブルーオーシャンに繋がる可能性があるほど、
「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」が達成されていない場合には、
すなわち、企業が「システムと協力」というロジックで動いていない場合には、
社内の既存の価値観・文化・風土・制度・ルールや非協力・妨害などにより、社内において否定されてしまう
という、よくありがちな事例を考えると理解しやすいものと思われる。
「オペレーションにおけるプロセス(=オペレーションにおけるPDSAサイクル)」も重要であるが、
現代においては「意思決定におけるプロセス(=マネジメントにおけるプロセス)」が非常に重要であり、
ここにデミング博士の「経営哲学」「経営・組織・思考原理」としての現代的な真価があるのではないだろうか。
フォードの事例では言えば、「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」が為されなければ、
(それがブルーオーシャンかどうか別として)「トーラス」という車種(=企画品質&製造品質)は実現できなかったであろう、
ということであり、それがなければ、現在のフォードは存在しないということである。
Section.15

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(1)

デミング博士の「経営・組織・思考原理」という側面は、時と共に希薄化してきた
ここまで、デミング博士について見てきたが、冒頭【1】の枠組みに基づくと、以前の私も含めて日本の一般においては、
デミング博士の経営・組織・思考原理(B)という側面は、ほとんど認識されていない。
ということになる(この点は、【4】において検討)。
ここでは、私を含めて、日本において、どのような経緯を経て現在そこに至っているのかということを、以下、
[1]デミング博士と戦後の日本企業(1950年〜1980年頃)
[2]「脱デミング」的な流れ(1980年頃〜1990年代後半〜2012年)
[3]博士の訃報:果たされなかった再発見・再評価(1993年)
という流れで、見ていきたい。
Section.16

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(2)

[1]デミング博士と戦後の日本企業(1950年〜1980年頃):概要
デミング博士は、終戦の翌々年、1947年1月に、第一次ライス調査団の第二陣メンバーとして初来日するが
(この時、及び、2回目の来日(1948年)は公務のみ。)、
日本企業に大きな影響を与えることになる、博士個人としての、いわゆる「伝道」とも評される本格的な活動は、
日本科学技術連盟 との関わりにおける、1950年(3回目)から52年にかけての来日時となる
(『デミングの組織論』による)。(*9)
実質的に博士と日本との最初の出会いとなる1950年の夏(博士にとっては3度目の来日)に、
「お茶の水コース」として知られる「品質の統計的管理8日間コース」(*10)、
「経営者のための品質管理講習会1日コース」を始め、(*11)
同様の講習会が、約2カ月間にわたり、全国主要都市で10回以上開催されたとのことである(『デミングの組織論』)。
「お茶の水コース」の講義内容は、速記録に基づいてまとめられ、
「Dr.Deming's Lectures on Statistical Control of Quality」として有料配布されるものの、
博士が印税の受け取りを固辞したことから、日本科学技術連盟において、
1951年に、それを基金の一部として「デミング賞」が創設されることになる。(*12)
デミング賞は、日本企業の躍進と共に「産業界におけるノーベル賞」と目されるまでになり、実質的・象徴的な目標として、
日本企業における、プロセスとしての経営管理体制の質の向上、その結果としての製品・サービスの質の向上、
ひいては国際競争力の向上に貢献し、それが世界的に「東洋の奇跡」とまで言われる、
日本の高度経済成長に繋がることになるのはご承知の通りである。
そして、1979年には、エズラ・ヴォーゲル氏著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が翻訳出版され、
ベストセラーとなる。


*9:デミング博士と日本科学技術連盟との最初の接触は、月刊誌『品質管理』創刊号への寄稿依頼だったようです。
   この時の経緯については、『日科技連創立五十年史 第一部(p.29)』において知ることが出来ます。
   そこでは、1950年〜52年にかけての3回の来日の際の活動の様子(p.29〜39)、
   さらに、1955年に来日(43日間の長期滞在)の際の活動の様子を辿ることができます(p.84)。
   また、『デミングの組織論』によると、日本での「伝道」期間が、米国における約13年間と比較して短期間であるのは、
デミングの伝道で、デミングの教え子たちである日科技連の関係者、経営者、専門家、大学人、役人たちの間で火がつき、
かれらの間で産学公のコラボレーションができ、独自にシューハートの理論を解釈し、また切磋琢磨しあうようになった。
   ためであるようです。
*10:『日科技連創立五十年史 第一部(p.30〜33)』によると、
   「品質の統計的管理8日間コース」は、大学卒業程度の語学力と数学の素養が受講条件であったが、
   全国から230名の参加者があったとのことです。
   リンク先では、その講義の概要を知ることが出来ます。
   また、同 第三部 (p.268)において、博士が初来日した時(1947年)から親交があった森口繁一氏は、
   この講義がその後に与えた影響を次のように指摘しています。
この講習会が、統計的品質管理の教育のありかたについて、講師陣に与えた影響もまた、計り知れないものがあった。
ともすれば数理的な理論に偏って実際の行動になかなか結び付かないきらいのあった、それまでの講習会から、
一転して、分かりやすく、実践的な教育に転換したことが、
その後の「ベーシックコース」の隆盛と発展を導いたことは明らかである。
    ※「ベーシックコース」とは、日本科学技術連盟が主体となって開催している、
     「品質経営には欠かせない、総合的品質管理のエキスパートを養成する、
      わが国でもっとも伝統と実績のある品質管理の本格的なコース」のこと
*11:「経営者のための品質管理講習会1日コース」について、森口氏は(同 第三部において)、デミング博士は
資本金額で言って、日本全体の8割にあたる会社の首脳部に話をすることができた。
   と語っておられた、と回想しておられます。
*12:デミング賞創設の経緯については、日本科学技術連盟の Web サイトにある PDF、
   『デミング賞の60年 (p.29〜32)』や、『日科技連創立五十年史 第二部(p.34〜39)』に詳細が記述されています。
Section.17

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(3)

[1]デミング博士と戦後の日本企業(1950年〜1980年頃):品質重視・長期目標重視の経営
「経営者のための品質管理講習会1日コース」について、『デミングで蘇ったアメリカ企業』には、
 石川馨氏 と 西堀栄三郎氏 の発言が、次のように記述されている。
石川の息子、馨の話では、その結果、箱根の山荘で開催された一日会議が決定的な契機となって、
出席した企業の社長やトップの経営者たちは、
自分たちの会社にとって品質管理がいかに重要であるかを認識した」のだという。
※ここで「石川」とあるのは、当時の経団連会長である石川一郎氏のこと。
西堀はこう語っている。
「デミングは経営者たちに向かって品質を最優先の課題とすべきだと語ったのです。
利益よりもまず品質。利益を生み出すのは、品質だからです。
また、真に成功する事業の確立が望めるのは長期にわたる計画を通じてのみだ ともいいました」
   また、森口繁一氏は、『日科技連創立五十年史 第三部(p.268)』において、次のように書いている。
これが、やがて全社的品質管理への礎石となり、
一部の専門家だけの仕事という認識から脱却する機縁となった ことは疑いないところである。
   このような発言からは、(デミング博士と石川一郎氏の出会いにより開催された)この講習会が、(*13)
   当時の主要な日本企業のトップの8割(=資本金額で8割相当)が参加した(『デミングの組織論』)ことも考慮すると、
   その後の日本企業の「品質重視」「長期目標重視」という経営原理や、
   それらに対する「経営者のコミットメント」に対して、非常に大きな影響をもたらしたであろう、ということが窺える。
   これについて、『デミングで蘇ったアメリカ企業』の著者ガボール氏は、次のように書いている。
今日、多くの日本人が、品質管理をマネジメントに欠かせない道具にまで高めた最大の功労者は
ジョゼフ・ジュランだと考えている。(*14)
ところが実際には、箱根での会議と講義の内容を見ると、
マネジメントの役割の重要性をよく理解していたのはデミングのほうだったことがわかる。
   また、ここでのデミング博士の成功体験は、
   (それ以前に米国での失敗体験があり、その反省から、日本でのこの成功体験が導かれたわけであるが)
   博士の「経営者の役割を最重視する」という考え方に、大きく影響しているように思われる。


*13:『デミングの品質管理哲学』によると、
   デミング博士は、お茶の水セミナーの1日目(1950年7月10日)の終了後の夜、突然不安から目が覚めて、
   「トップ・マネジメントに話さない限り、私の努力はまったくムダに終わるだろう」との思いに駆られたそうです。
   そこで、その問題解決のために米国人関係者数名に助力を依頼し、
   それが、当時経団連会長であった 石川一郎氏 との出会いに繋がったとのことです。
   実は、この時、石川氏は、お茶の水セミナーの主催者である日本科学技術連盟の会長でもあったわけですが、
   博士はそれを知らなかったために上記のように四方八方に手を尽くすこととなったことから、
   「私が、はじめからそういうことを知っていたら、すべてはもっと簡単だっただろう」とも語っています
   (ただし、これは、お茶の水セミナーの「1日目」ではなく、「2日目」としている書籍もありました)。
   博士は、石川氏との3回の面談を通じて、
   「品質管理はトップの理解と率先的取り組み無しには成功しない」ということ伝え、
   その問題意識を共有した氏が、7月13日に丸の内の日本工業倶楽部で博士を囲んだ懇談会を開くことを決め、
   経団連幹部に電報を打ったとのことです(『デミングの品質管理哲学』)。
   博士は、その石川氏を評して、次のように語っておられたようです(『デミングの組織論』)。
石川さんはとても力があり、公正な人だった。
日本の再建ということに対し、誰もがついてくるような立派な人でした。
   そして、『デミングに蘇ったアメリカ企業』『二大博士から経営を学ぶ』などの情報も総合すると、
   この時石川氏からの連絡を受け取った「日本の産業界の重鎮21名(『二大博士から経営を学ぶ』)」もしくは、
   「日本の一流企業の指導者21人(『デミングに蘇ったアメリカ企業』)」の全員が出席したとのことです。
   そして、その席で、会場からの提案により、「経営者のための品質管理講習会1日コース」の開催が決定したとのことです。
*14:上記のガボール氏の記述においては、一般的にはあまり馴染の薄いジュラン博士の知名度が高いとされていますが、
   これは、おそらく、日本の品質管理の専門家の方々において、ということであろうと思われます。
   私は、品質管理においてジュラン博士が果たされた功績も大変重要なものであると認識していますが、
   ここでは、「デミング博士の存在が希薄化している」という日本の現状に鑑みて、敢えて引用させていただきました。
   なお、ジュラン博士の功績に関しては、『日科技連創立五十年史 第二部(p.40〜42)』
   『第三部(p.271〜272、274)』などで知ることが出来ます。
Section.18

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(4)

[2]「脱デミング」的な流れ(1980年頃〜1990年代後半〜2012年)(1)
さて、個人的「デミング博士の再発見・再評価」 においては、私自身の認識をベースに次のように書いた。
日本では、デミング博士というと、
「戦後の日本企業に統計的な管理手法を伝授・指導してくださった方」というイメージで、
「モノ作り」「過去のこと」という先入観が強すぎて、その真の姿を認識することができなくなっている、
ということなのでしょうか。
これに関して、『デミングの組織論』によると、
1980年代に入る頃より、日本で品質管理に関わる方々の中に「脱デミング」的な考え方が散見されるようになり、
その頃盛り上がりつつあった米国における「デミング博士の再発見・再評価」の機運についても、
それを「かつての日本におけるものの二番煎じ」と見る向きさえもあったようである。
具体的言及は避けるが、同様の主旨のことが『デミングで蘇ったアメリカ企業』においても記述されている。(*15)
すなわち、1980年頃には、既に、デミング博士を「過去のこと」として見る視点が生じていた ことになる。(*16)


*15:私自身においても、残念ですが、入手した資料において「脱デミング」的な言説を目にせざるを得ませんでした。
*16:1982年に、博士は、自身の指導に基づき品質管理に取り組んだ日本企業などについての研究も踏まえて、
   「マネジメントのための14の原則」をまとめた『Out of the Crisis』を出版されますが、
   (吉田氏は、『国際競争力の再生』の中で、この著作のタイトルを「危機からの脱出」と訳されています)
   日本においては、この翻訳書は出されていないようです。
   その理由が、日本側の事情によるものなのか、そうでないのかは、確認することができませんでしたが、
   仮に、もしそれが日本側の事情によるものであるとするなら、
   やはり、当時においては、デミング博士は「過去のもの」となってしまっていた、ということになります。
Section.19

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(5)

[2]「脱デミング」的な流れ(1980年頃〜1990年代後半〜2012年)(2)
一方、『国際競争力の再生』によると、吉田氏は、米国から日本に戻られた1997年に、
品質管理関連の多くの集会への参加を通じて「日本の品質管理のレベルの高さに強い感銘を受けた」とのことであるが、
同時に、次のような危惧も抱いておられる。
日本の品質管理のレベルの高さにはまったく驚嘆させられたが、全体の体験をとおして強く感じたことは、
日本の品質管理は圧倒的に工学系であり、製品の生産および物流に関するものであるということである。
端的にいえば、一部の優良企業を除いて、
日本にはまだ本当の意味でのTQMが存在していないのではないかということである。
(※ここでは、「TQM」という用語は、本質的にはデミング博士由来の「品質管理」と同義として用いられている。)
すなわち、1990年代後半には、既に概ね、デミング博士は「モノ作り」においてのみ捉えられるようになっていた、わけである。
ということで、ここまでの流れを整理すると、概略的には、
1950年に始まる戦後の日本企業の品質管理活動は、「デミング経営哲学」に基づいた、本来的な「品質管理」であった。
1980年前後に「脱デミング」的な考え方が生じ、次第に広がっていった。
1990年代後半においては、既に、日本企業の品質管理活動は「製造・物流」領域へと「矮小化」していた。
ということになる。
Section.20

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(6)

[2]「脱デミング」的な流れ(1980年頃〜1990年代後半〜2012年)(3)
また、「製造面・物流面における品質管理は非常に高い水準を保っていた」という吉田氏の指摘も踏まえると、
冒頭【1】の枠組みに基づいて言えば、
1990年代後半における日本企業の品質管理活動は、
製造・物流領域においては、品質管理の具体的技法・活動(A)は非常に高い水準にあったが、
全社的には、その具体的技法・活動(A)も経営・組織・思考原理(B)も共有されるものではなくなっていた。
ということになる。
おおまかには、この流れの延長に2012年の現在があるということになろう。
ただし、海外企業においても品質管理への取り組みが非常に活発化しているようであるため、
製造・物流領域における品質管理の具体的技法・活動(A)についても、論理的に考えれば当然の帰結として、
日本企業の相対的な優位性は縮小しつつある、ということになる。
Section.21

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(7)

[3]博士の訃報(1993年):果たされなかった再発見・再評価(1)
ここで、若干遡るが、1つの象徴的な出来事として、1993年に博士が死去された当時のことにも触れておきたい。(*17)
『デミングで蘇ったアメリカ企業』の末尾の解説によると、米国では博士の訃報は大きく取り上げられ、
とくに、『ウォールストリート・ジャーナル』は紙面を大きく割いてデミング博士の人となり、そしてその業績を讃えた。
ということであったので、
日本においてはどうであったのかと気になって探してみたのが、次の日本経済新聞における訃報記事である。(*18)
また、12月31日付けまで確認したが、訃報関連記事は無いようであった。(*19)
Dr.Deming
日本経済新聞 1993年12月21日 夕刊 第5面



*17:米国で博士の再発見・再評価がなされることとなった1980年においては、博士は既に80歳であり、
   通常では静かに余生を送るというような年齢でした。
   しかし、博士は、ワシントンに拠点を置きつつ、亡くなる数カ月前まで毎週月曜日にニューヨーク大学で講義し、
   (80年代後半以降は、コロンビア大学でも、同じく毎週月曜日の午前中に講義を行っていた)
   年20回程開催される「デミング4日間セミナー」をこなし(このセミナーは亡くなる直前まで開催されていた)、
   個別企業へのコンサルティングとして、フォード社を始めとする巨大企業の経営トップなどと渡り合い、
   大きな問題を抱えている巨大組織を再生へと導くような仕事に従事していたわけですから、
   改めて、その気力・知力・精神力の高さには驚嘆せざるを得ません。
   American Statistical Association のサイトでは、『デミングの品質管理哲学』の著者ナンシー.R.マン氏による
   デミング博士のバイオグラフィー『W. Edwards Deming 1900-1993 』を読むことが出来ます。
   なお、デイヴィッド・サルツブルグ氏著『統計学を拓いた異才たち』によると、マン氏自身も、
   「ワイブル分布」という確率分布に関する問題解決に大きな貢献を果たした統計学者であるとのことです。
*18:参照させていただいた紙面は、当エントリーにおけるテーマである「デミング博士に対する興味・関心・認識」について、
   デミング博士が亡くなられた当時(1993年)の状況を検討するための非常に重要な資料となるため、
   紙面として全文を参照させていただいています(著作権を侵害する意図はございません)。
*19:日本科学技術連盟の事務局長としてデミング博士との交渉役を務められた小柳賢一氏は、
   1960年に出された「デミング賞」というパンフレットに、次のような文章を残されています。
大部分の日本人は敗戦国民として奴隷的な精神状態にあった。
したがって、連合軍の職員の中には、尊大に構える人も少なくなかった。
そういう人たちと対照的に、デミング博士は、彼が会うあらゆる日本人に暖かい心遣いを示し、
誰とでも率直に意見交換した。
彼から学んだもの、彼と知り合いになったものはすべて、彼の高潔な人柄に感銘を受けた。
彼は心から日本および日本人を愛した。
彼が自分の講座に最善を尽くした誠意と熱意は、すべての関係者の記憶に今も生きているし、
これからも永久に生き続けるであろう。
   (『デミングの品質管理哲学』による)
Section.22

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(8)

[3]博士の訃報(1993年):果たされなかった再発見・再評価(2)
これを見た時の私の第一印象は、「一面ではなかった」「記事の取り扱いが存外かなり小さい」というものであるが、
このような日米の経済紙における取り扱いの違いからも、1990年代前半当時の日本においては、デミング博士は、
(1)時間の経過に伴う、不可避の「忘却」「重要性に対する認識の低下」
(2)1980年前後から顕在化し、次第に拡大していった、日本企業・日本経済における「脱デミング」的意識
という流れの中にあったものと理解することができる。

(1)については、デミング博士は、米国においては「まさに現在活躍中の人物」であったのに対して、
日本においては「歴史の中の人物」「記憶の中の人物」ということになってしまっていたということである。
これは、大変残念なことではあるが、人間・社会の宿命として、ある面では避けられないものがある。
しかし、デミング博士が日本企業や日本経済にもたらした功績を考えると、この取り扱いは(1)だけでは説明できない。
そこには、やはり、(2)「脱デミング」的意識の存在を想定せざるを得ないように思われる。
具体的には、1980年頃から日本で品質管理に関わる方々の間で「脱デミング」的流れが顕在化し(前述)、
1980年後半にかけて、その流れが次第に経営者や経営コンサルタントなどにも波及し、
メディアでも取り上げられていくなど、徐々に大きな流れとなっていったようである。
(『デミングで蘇ったアメリカ企業』による)
その背景には、デミング賞獲得競争の激化や QC サークル活動の自己目的化・形骸化など、(*20)
質の向上という本来の主旨から外れた運用が目立つようになってきたという
日本企業における品質管理の実態面での劣化もあるようである。
これらは直接的には博士自身とは関係が無いものであるとは言え、博士の存在を希薄化する方向に作用したことは否めない。
また、私個人の記憶では、その当時(1980年代後半〜)の日本の消費財市場における大企業の行動原理は、
如何に自社の「マーケット・シェア」を高めるか(=「ナンバーワン」を獲得するか)という点に、
すなわち「質」ではなく「量」に重点が置かれていた、という印象がある。(*21)

つまり、「必然的な、存在感の希薄化(前者)」、「積極的な、存在感の希薄化(後者)」という、
2つの大きな流れにより、デミング博士の存在感は希薄化していた、ということになり、
また、その訃報記事の取り扱いからは、それが相当程度進んでいたものと考えざるを得ない。


*20:「QC サークル活動の自己目的化・形骸化」については、吉田氏は、著書『ジョイ・オブ・ワーク』において、
実際に QC サークルに参加して嫌な体験をして、もう二度とチーム活動や TQM 活動には参加したくないし、
そういう類いの本はもう読みたくないと思っている人も多いかもしれない。
   と、日本企業における現状を認識されておられます。
   しかしながら、氏によると、デミング博士自身は、
組織体に競争力をつけるためには、そこで働く個々の人間が Joy of Work(仕事の喜び)を体現することが不可欠である
という理論は、1980年代はじめ、我が師、デミング博士によって提唱された。
   ということで、「従業員満足(Employee Satisfaction)」という概念の先駆けとも言える考えをお持ちであったようです。
   (「従業員満足」という概念の提唱は、日本では1990年代中頃であったように記憶しています)。
   それは、ハーズバーグ 的には、福利厚生などの「衛生要因」ではなく、仕事自体という「動機付け要因」を指向する、
   マグレガー 的には、強制や命令という「X理論」的ではなく、自主性を尊重する「Y理論」的にアプローチする、
   ダニエル・ピンク 的には、「外発的動機」ではなく、自己実現やフローに通じる「内発的動機」を重視する、
   ということであり、現代においても、というか、現代においてこそ必要とされているものと思われます。
   私見ですが、米国のIT企業は、この概念を(それがデミング博士由来かどうかは別として)非常に重視しているようです。
   ということで、氏は、デミング経営哲学の本質は「ジョイ・オブ・ワーク」にある として、
   QC サークル活動の衰退・停滞や日本企業の従業員から仕事に対する熱意が失われている現状に対して、
   新たなグループ活動の理論を提示すると共に、その実践・普及にも尽力されておられるようです。
*21:1990年代中頃から後半にかけて、「オンリーワン」という概念が登場し、
   戦略論において、再び「質」が注目されるようになりました。
Section.23

【3】歴史の中におけるデミング博士:博士に対する認識の変化(9)

[3]博士の訃報(1993年):果たされなかった再発見・再評価(3)
このように、日本において、博士の訃報がその「再発見・再評価」に繋がることがなかったとすれば、
1993年当時において、デミング経営哲学の本質を認識していた日本人は非常に少数であったことになり、
象徴的な表現としては「ただ一人であった」と言えるだろう。
もちろん、その人物とは、
デミング博士の筆頭格の助手として全米規模で実施されていたデミング・セミナーにおいて博士の補佐役を任されていた
吉田耕作氏(現在、青山学院大学大学院教授)のことであるが、残念なことに、氏は当時は米国在住であった。

その後、1996年に、武田修三郎氏が自身の核心的問題を解く鍵として「デミング博士の再発見・再評価」に至り、
2002年に『デミングの組織論』を出版されることになる(Section.12 参照)。

ただし、1993年にデミング賞を受賞した NTTデータ株式会社(当時の社名は「NTTデータ通信株式会社」)は、
博士から、受賞に対する賛辞と共に、
最新著書『The New Economics for Industry, Government, Education』の贈呈を受け、
若手社員の方々が研究会を立ち上げてその翻訳・出版に取り組んでいたということであるから、
同社やその研究会のメンバーの方々は、当時、既に吉田氏と同様の認識を有しつつあったと言えるかもしれない。
博士の遺作となった同書(正確にはその第2版)は、同社研究会の翻訳により、1996年にNTT出版から出版されるので、
博士から遺作を託されたような格好となった同社は、果たすべき仕事・貢献をしたということになる。
その冒頭の「日本語版刊行にあたって」において、同社の当時の代表取締役会長藤田史郎氏は、次のように述べておられる。
数字や技巧をこらした品質管理や経営手法が発展する現在において、非常に基本的な考え方を改めて説き、
その重要性に目覚めさせてくれたという意味で、本書は大きな価値を有している。
本書が、品質管理の原点に立ち返り、今後の日本における品質管理のさらなる発展に寄与することが出来れば、
望外の喜びである。
そして、同社は、2012年の現在においても、非常に熱心にデミング経営哲学を受け継ぐ品質管理に取り組んでいるようである。
Section.24

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(1)

人びとの興味・関心・認識としての「出版」から消えるデミング博士
ここからは、前章までを受けて、デミング博士を巡る現時点における状況についても触れてみたい。
とは言うものの、私がアクセス可能な手掛りは限られており、ここで言及できるのは「出版状況」面のみである。
しかし、出版状況にはその分野や世の中全体の人びとの興味・関心・認識が反映されている と考えることができるため、
一領域とは言え、現在の日本におけるデミング博士についての「認識」という当エントリーのテーマにおいては、
参考にするのに最も相応しい領域であると言える。
以下、次のような流れで、見ていきたい。
[1]入手困難となっているデミング博士の著作
[2]ビジネス書、経営学テキスト、品質管理テキストの一例
[3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較
Section.25

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(2)

[1]入手困難となっているデミング博士の著作(1)
現在、非常に驚くべきことであるが、
Amazon.co.jp においては、新品で入手可能なデミング博士の著作は存在しない、という状況になっている。
博士には主なものとして7冊の著作がある(The W. Edwards Deming Institute)ようであるが、
その内の最後の2冊が主著とされている。
しかしながら、この2冊のうちの先に出版された『Out of the Crisis』は、何故か、日本では翻訳出版されなかったらしい。
それがもし日本側の事情であるとするなら、『Out of the Crisis』は、
最初は、1982年に『Quality, Productivity and Competitive Position』というタイトルで出版され、
タイトルを変えた『Out of the Crisis』が1986年に再出版されているため、
1980年代初頭には、既に、デミング博士に対する関心は相当低下していたということになる。
また、博士の遺作となった『The New Economics for Industry, Government, Education』の第二版の翻訳である
デミング博士の新経営システム論―産業・行政・教育のために』も新品は現在入手不可である。
ちなみに、後者のカスタマー・レビューと評価は次のとおりである。
『デミング博士の新経営システム論―産業・行政・教育のために』
カスタマー・レビュー 2 件(★5:2、★4:0、★3:0、★2:0、★1:0 ~ 平均★5)
Section.26

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(3)

[1]入手困難となっているデミング博士の著作(2)
それに対して、Amazon.com においては、デミング博士の主著である
Out of the Crisis』と『The New Economics for Industry, Government, Education (2nd Edition)
の2点は、現在でも入手可能である。
同様に、カスタマー・レビューと評価は次のとおりである。
『Out of the Crisis』
カスタマー・レビュー 61 件(★5:51、★4:6、★3:2、★2:2、★1:0 ~ 平均★4.74)
『The New Economics for Industry, Government, Education (2nd Edition)』
カスタマー・レビュー 39 件(★5:27、★4:11、★3:1、★2:0、★1:0 ~ 平均★4.67)
Amazon.co.jp と Amazon.com ではレビューの付き方が同じというわけではないようなので、単純な比較は出来ないが、
非常に多くの関心を集め、それにもかかわらず非常に高い評価となっている(この点については後で検討)。
前者の最新レビューが「May 25, 2011」で、後者のそれは「June 4, 2011」であることから、
関心の勢いにはやや低下傾向があるようにも見受けられるが、
当初の出版が前者は30年程前、後者は20年程前であることを鑑みれば、現代においても読み継がれていると言えよう。
また、この2冊は、共に「The MIT Press」からの出版であることから、(*22)
全米的・世界的な超名門大学関連の出版物として、学術的に、正統な地位・格を授けられているものとなっている。(*23)


*22:ご存知のように、MIT はハーバード大学とライバル関係にあります。
   日本でもよく知られているようにハーバード大学はドラッカー博士に着目している一方、
   MIT はデミング博士に着目している(こちらは、日本ではほとんど知られていないように思われますが)というのは、
   両校の関係を反映しているようにも見受けられ、科学にかける両校の意気込みが感じられてきます。
   一方、両博士はお互いの主張を尊重し合っていたようですが、後で検討するように、
   米国では、MIT とハーバード大学がそうであるように、デミング博士の著作とドラッカー博士の著作は、
   日本におけるそれとは全く異なり、関心・評価において、互角の勝負となっているようです。

*23:一方、日本においては、博士の遺作は「NTT出版」からの出版であり、翻訳者も「NTTデータ通信品質管理研究会」という
   NTTデータ株式会社で品質管理の勉強に取り組んでいる若手の方々(当時)ということから、学術的というより、
   (NTTが日本の通信企業の最大手とは言え)私企業関連の出版物という色合いが濃いものとなっています。
   しかしながら、誤解の無いように付け加えますと、NTT出版は、私が知る限り、『情報の歴史』(1990)などのように、
   1980年代後半から斬新な編集視点で意欲的な出版活動を展開しており、
   デミング博士のこの翻訳書についても、親会社の意向もあったとは思われますが、
   同社の出版社としての「質」の高さを示すものになっているように思われます。
   現在入手不可となっていることは大変残念ですが、同社が営利企業である以上、それは私達読者側の問題でもあり、
   【3】で検討したようにデミング博士の「存在感の希薄化」が強まっている状況の中で邦訳を出版した英断には、
   感謝したいと思います(再版があると、もっと素晴らしいのですが・・・)。
Section.27

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(4)

[2]ビジネス書、経営学テキスト、品質管理テキストの一例(1)
ここで取り上げる書籍は、私が参照した限りということで、個人的経験の範囲になり、その意味では限定的なものである。
しかし、その3冊の書籍のポジションを考えると、
情報的には最新とは言えないが、経営思想・経営パラダイム、経営学、品質管理の領域において、
デミング博士の位置付けが何となく見えてくるように思われる。

1冊目は「ビジネス書」で、これは私が以前関心をもって読んだ、「経営における「質」」をテーマにした書籍である。(*24)
今回のエントリーを書く途中で、「そう言えば、そんな本があったな(2003年出版)」ということで思い出して、
そういうわけであるから「デミング博士への言及はなかった」はずであったが、確認したところ、やはり無いようであった。
大企業の経営者やコンサルタントなどの方々による共著で、そのテーマ設定や内容そのものは大変興味深いものであったが、
デミング博士に関しては、以前の私と同様に「(B)経営・組織・思考原理として捉える認識はなかった」ということになる。
その理由は、これまた以前の私と同様に、そして、この書籍を読んだ際に私自身が博士を想起できなかったのと同様に、
このような問題意識をもつ方々においても、博士と(A)品質管理の具体的技法・活動との認識的結び付きが余りにも強すぎて、
(B)経営・組織・思考原理として捉えることが阻害されてしまっているということではないか、と思われる。
また、この書籍は2003年の出版ということで、
吉田氏著『国際競争力の再生』(2000年)、武田氏著『デミングの組織論』(2002年)の以後であるから、
当時においては、その指摘・主張は届いていなかった、ということになろう。
そして、その後のフォロワーも見当たらないようである。


*24:実は、この書籍は、このコラムの「中小企業を巡る冒険」というタイトルを考える際に、
   私自身の問題意識に照らして参照した書籍の中の1冊でした。   
   というのは、私自身においても、学生時代の恩師の教えに由来する重要テーマとしての「質」があり、
   当時(2009年前半)、「経営における「質」」という問題意識があったからです。
   その意味では、この書籍のタイトルは、私の問題意識としてはまさにぴったりのものでした。
   しかしながら、本文中の記述のように、その時に私はデミング博士を想起することは全くありませんでした。
   当エントリーの前半で、品質管理の専門用語で「企画品質」「製造品質」という言葉を使いましたが、
   当時の私においては(そして、おそらく日本の一般においても)、
   デミング博士は「製造品質」と認識的に強く結び付けられていたため、それ以外の認識が出来ない状態だったと思われます。
   しかし、デミング博士は、1950年において、既に「マーケット・イン」に通じる考え方を提唱しています。
   その意味では、マーケティングのテキストにおいて、いわゆる「マーケティング・パラダイム」として
   「マーケット・イン」についての言及がありますが、そこには実はデミング博士の名前があっても良いとも思われます。
   とすると、戦後の日本企業の強みは、一般的には「製造品質」であると捉えられているように思われますが、
   実は、デミング博士の「マーケット・イン」的考えに基づいて適切に設定された「企画品質」が卓越していたためである、
   とも考えることもできそうです。
   そして、デミング博士のロジックは、
そのような「企画品質」の卓越は、「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」により実現される
   というものであるように思われます。
   そして、
「企業活動全体の一体化・統合化・最適化」の水準が、「経営における「質」」である
   と言えるように思われます。
Section.28

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(5)

[2]ビジネス書、経営学テキスト、品質管理テキストの一例(2)
2冊目は「経営学部における経営学の教科書的テキスト」で、これは以前私が(国内で)MBAに類する学習を行っていた際に、
仲間内で標準的テキストとされていたものである。
文科系の有名大学の先生方による共著で、新入生向けとなっているが(私が参照したのは、1999年出版)、
同様に、デミング博士への言及は無いようである(索引にもその名は見当たらず)。
この点については、この改訂版は出ていないようなので今でも大学の授業のテキストとして活用されているのか、
また、米国の経営学の教科書においてデミング博士はどのような位置付けとなっているのか、などの点に興味が湧く。(*25)


*25:『ジョイ・オブ・ワーク』によると、米国の MBA における品質管理に関しては以下のような経緯があったようです。
アメリカでは1991年に Harvard Business Review 誌にアメリカを代表する6社の社長が連名で
「公開状:大学に TQM を」という論文を掲載し、
大学院の MBA コースで TQM を教えることは国家的緊急事であると主張した。
以後、急速に主要な大学の大学院で TQM を教えるようになり、
今ではほとんど全ての MBA プログラムで TQM を教えるようになった。
   また、著者吉田氏は、国際競争力の観点から、
   「日本の大学の経営学部や商学部に TQM の科目がない」点を指摘して(2005年当時)、
   ご自身が文科系の大学院で教鞭をとられていることもあり、
   「この問題を深刻に受け止めており、早急に文科系で TQM を採り入れるべきだと提言したい」と書かれています。
Section.29

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(6)

[2]ビジネス書、経営学テキスト、品質管理テキストの一例(3)
3冊目は「工学部における品質管理の教科書的テキスト」で(私が参照したのは、2009年の出版)、
これは今回のテーマを考えるために、品質管理の専門書にも目を通してみようということで参照したものである。
有名大学の専門の先生による著作であるが、
「日本の品質管理の歴史」のような箇所においても、デミング博士への言及は無く、
また、米国における「デミング博士の再発見・再評価」の切っ掛けとなった
NBCの「If Japan can... Why can't we?」やそれを契機とした米国での品質管理への関心の高まりについての言及はあるが、
そこでも同様にデミング博士への言及は無い。
この点については、その理由が何なのかについての疑問も生じるが、この1冊だけでは結論するには弱いように感じるのと、
私自身はそのこと自体への特段の関心は無いため、コメントは差し控えたい。
ただ、もし、それが、1980年前後からの「脱デミング」的流れと関係のあるものであるとするなら、
その根底にはどのような無意識的ロジックが働いているのかについては、
現代の私達自身の思考を相対化することにおいて、非常に重要なポイントであるように思われる。
Section.30

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(7)

[3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較(1)
最後に、これまで見てきたような日本の状況を相対化するために、もう一度米国の状況に目を向けてみたい。
【1】において、日本でも大変多くの支持を得ているドラッカー博士を持ち出して、次のような喩えを使った。
ドラッカー博士の言葉からその含蓄・洞察を考えるのと同じように、デミング博士の言葉からその含蓄・洞察を考える
そこで、Amazon.com において(米国においては)、デミング博士とドラッカー博士の著作が、
どのような関心・評価を得ているのかを、確認してみることにする。

まず、デミング博士の著作については、次のようになっている(再掲)。
『Out of the Crisis』
カスタマー・レビュー 61 件(★5:51、★4:6、★3:2、★2:2、★1:0 ~ 平均★4.74)
『The New Economics for Industry, Government, Education (2nd Edition)』
カスタマー・レビュー 39 件(★5:27、★4:11、★3:1、★2:0、★1:0 ~ 平均★4.67)
Section.31

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(8)

[3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較(2)
一方、ドラッカー博士の著作でレビューの多いものを列挙すると次のようなっている。
『The Effective Executive』
カスタマー・レビュー 89 件(★5:72、★4:16、★3:1、★2:0、★1:0 ~ 平均★4.80)
『Management Challenges for the 21st Century』
カスタマー・レビュー 67 件(★5:54、★4:10、★3:1、★2:0、★1:2 ~ 平均★4.70)
『The Essential Drucker』
カスタマー・レビュー 50 件(★5:38、★4:9、★3:3、★2:0、★1:0 ~ 平均★4.74)
『Innovation and Entrepreneurship』
カスタマー・レビュー 44 件(★5:28、★4:10、★3:3、★2:2、★1:1 ~ 平均★4.41)
『The Daily Drucker』
カスタマー・レビュー 33 件(★5:27、★4:4、★3:1、★2:0、★1:1 ~ 平均★4.70)
『Managing the Nonprofit Organization』
カスタマー・レビュー 28 件(★5:18、★4:5、★3:1、★2:3、★1:1 ~ 平均★4.29)
Section.32

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(9)

[3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較(3)
さすがに、ドラッカー博士の著作は、米国においても、大変多くの関心・評価を得ているようである。
しかし、この両者を比べた時に、日本人であれば多くの方が非常に驚くであろう点は、
デミング博士の著作も、そのドラッカー博士の著作と匹敵するほどの大変多くの関心・評価を得ている
ということである。
ここで取り上げたデミング博士の主著2冊は、内容的には、
前者は、博士が約30年間の研究を通じて得られた、「マネジメントのための14の原則」に焦点を当てている。
後者は、博士が「深遠なる知識のシステム」と呼ぶ、経営者に必須の認識に焦点を当てている。
すなわち、【1】の枠組みに即して言えば、ドラッカー博士と並ぶほどの大きな関心を集めるデミング博士の主著2冊は、
いずれも、(A)品質管理の具体的技法・活動というよりも、
「経営哲学」として(B)経営・組織・思考原理に焦点を当てている ものである。
したがって、この2点だけを見ると、次のような帰結となる。
米国の一般においては、デミング博士は「経営哲学(=経営・組織・思考原理)」の面で大きな関心を集めており、
その著作は(著作数は少ないとは言え)、ドラッカー博士の著作と張り合うほどの支持を得ている。
Section.33

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(10)

[3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較(4)
私は米国における経営観や経営思想に通じているわけではないため、
前記の推論に関して、ドラッカー博士との比較がどこまで正しいのかについては、確定的なことは言えない。
しかし、ここまで度々参照させていただいた
『デミングの品質管理哲学』『デミングで蘇ったアメリカ企業』『アメリカ・自己変革への挑戦』なども踏まえると、
デミング博士は、米国においては、日本におけるのとは全く異なり、
「経営哲学」、すなわち(B)経営・組織・思考原理の面で関心を集めているのは確かであるように思われる。
対比的にまとめると、
デミング博士の(B)経営・組織・思考原理についての経営哲学は、
日本においては、必然的かつ積極的な存在の希薄化により、認識されなくなっているが、
米国においては、若干の関心の低下傾向が見られるものの、近年においても高い関心が寄せられている。
そして、この点が、日本企業において経営を考える上で、非常に重要なポイントであるように思われる。
Section.34

【4】デミング博士を巡る現在の認識:出版状況から考える(11)

[3]米国の出版状況から見えてくるもの:ドラッカー博士の著作との比較(5)
Amazon.com において、現時点での『Out of the Crisis』の最新レビュー(May 25, 2011) は次のようになっている。
Even though the book is nearly 30 years old,
the basic lessons of management and quality control are still valid.
Indeed, there is a lot of American business that seems to have forgotten Deming's teaching.
Most of the book is an easy read and Deming's style is different to say the least.
Whether you are part of the "system", or you're the one responsible for designing the system;
this is worth the read.
The lessons are basic and applicable to any indusry or service business.
It's also an interesting history lesson.
(Mike氏 による)
すなわち、
おおよそ30年前に出版されたものであるが、経営や質に関するその基本的な教えは今でも正しいものである。
そのデミング博士の教えは、それを忘れ去ってしまったように見える多くの米国企業もあるが、
それゆえに、従業員においても経営者においても、顧みられるべきである。
との指摘は、日本にいる私達においてもあてはまることのように思われる。(*26)


*26:これまでにも何度か触れましたが、『Out of the Crisis』の翻訳書は何故か出版されていません。
   しかしながら、同書において提唱された「デミング14ポイント」については、
   『ジョイ・オブ・ワーク』の第10章において、吉田氏による解説付きで読むことができます。
Section.35

【5】まとめ・結論

最後に、ここまで見てきたことを踏まえて、次のようにまとめておきたい。
■まとめ1:デミング博士の存在・理論には2つの側面がある(【1】【2】より)

デミング博士には、「品質管理の概念・手法・活動(A)」と「経営哲学(B)」という2つの側面があり、
博士自身は後者についても非常に重視していた。
■まとめ2:現在の日本においては、デミング博士の「経営哲学(B)」は認識されていない(【4】より)

現在の日本においては、全般的に、デミング博士の存在・理論についての興味・関心は非常に希薄化している。
そのうえ、博士の2つの側面のうち、「経営哲学(B)」面についてはほとんど認識されていない。
■まとめ3:その原因には、「必然的忘却」に加え、1980年頃から顕在化・拡大した「脱デミング的」流れがある
 (【3】より)

1950年のデミング博士と日本との出会いから、
専門家はもちろん、経営者や一般従業員まで非常に多くの方々がデミング博士由来の「品質管理」を理解し、
(B)マネジメント面・(A)オペレーション面に導入・実践され発展・進化してきたが、
1980年前後から「脱デミング」的な流れが顕在化し、それが次第に大きくなり、
1993年末に博士が亡くなられた時には、
日本企業・日本経済にとっての恩人であるはずの博士が大きく省みられることが無いまでに至っていた。
また、米国において1980年前後から生じてきた「デミング博士の再発見・再評価」の機運についても、
日本において対照的に生じてきた「脱デミング」的な流れのもとで、
博士の「経営哲学(B)」面を重要視するというその本質について認識することができなかった(現在もできていない)。
また、その過程において、一時的には、製造現場から非製造現場・非製造業へと拡大していった取り組みが、
1990年代前半頃に急速に縮退し、現在、大勢においては、再び製造現場のみでの取り組みとなっている。

ということで、【1】でも述べたような、次のような結論を再掲して、締めくくりとしたい。
■結論:「経営・組織・思考原理(B)」としてのデミング経営哲学を再検討する必要がある(【1】【2】より)

米国のサービス産業の国際競争力が高いという点には、デミング博士の「経営哲学(B)」が影響を与えており、
同様に、国際競争力が高い米国のIT産業においても、
そのコアコンピタンスであるソフトウエア開発の方法論の科学的探究を通じて、博士の考えが採り入れられている。
また、日本企業のかつての世界的な躍進やフォードの再生の事例からも、そこに大きな可能性があることが窺える。
フォードの経営において「テイラー・パラダイム」の上に「デミング・パラダイム」が創造・構築されていったように、
現代および未来のマネジメントは、そのデミング博士の「経営・組織・思考原理(B)」を基盤として、
その上に新たなレイヤーとして追加的に創造・構築されていくものと思われる(武田氏はそれを「加上」と呼んでいる)。
とするなら、日本企業においては、一度は創造されたはずの「デミング・パラダイム」が劣化している可能性が高いが、
本来的に必要であったのは、「脱デミング」ではなく「超デミング」であったはずである。
であるなら、もはや、デミング博士の「経営哲学(B)」を避けて通ることはできない。
故に、「企業戦略」においては、再度、「経営・組織・思考原理(B)」としてのデミング経営哲学に向き合うことから
その再構築・再創造を考える必要がある。
私としては、デミング博士を巡り、1950年に始まる「過去」から「現在」までを検証し得られたこの認識を基盤として、
その「未来」を志向しつつ、思考面・実践面でその「本質」に少しでも迫っていければと考えている。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
読者の皆様にとりまして、当コラムが、多少なりともお役に立つものとなりましたら幸いです。

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