DIARY :: AROUND THE CORNER :: 20110911001
9.11から10年、3.11から0.5年
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タイトルの通り、今日で「9.11から10年」「3.11から0.5年」が経過したことになるわけですが、この間、日本は、国家としては、「9.11から10年」においては、「失われた10年」が「失われた20年」になり、「3.11から0.5年」においては、「失われた20年」が「失われた30年」になろうか、ということのように思われます。
振り返れば、日本がバブル経済の頂点にあった頃には、世界においては、既に、20世紀的経済・社会から21世紀的経済・社会への移行・転換が始まろうとしていたようにも思われます。20世紀的経済・社会がどういうもので、21世紀的経済・社会がどういうものかということについては、私がここで簡単に語られるようなものではありませんが(つまり、「20世紀」「21世紀」という言葉を象徴的に使っています)、全世界を覆い尽くすような情報化の巨大な潮流を目の当たりにすると、非常に大きな世界的・歴史的なパラダイムの転換のようなものが1980年代後半から1990年代前半にかけて生じてきた、そして、それが現在も進行中、ということではないでしょうか。そのようにして見ると、日本においては、20世紀的経済・社会の劣化が、地震と津波を契機に「3.11」として顕在化したと捉えることもできます。
過去はともかく、現在、大きな歴史的なパラダイムの転換が進行するという大状況のもとで、歴史の最前線においては、世界の多くの人々が、新たなフロンティアを切り開くべく、その人生を賭けて、猛烈な情熱で知性と努力を注ぎ込み、一刻を争い変化を具現化しようとしている、ということではないでしょうか。そこに伍していくことを考えて、精いっぱい努力して、それでようやく結果はどうかという状況において、「あーだ」「こーだ」と留保を付けている時間も余裕もないように思われます。
経済・社会の環境自体が大きくダイナミックに変化している状況において、現状に留まることは「相対的な退化」に繋がる大きなリスクを負うことになります。もちろん、変化することにも相応のリスクが伴うわけですが、しかし、そこにはチャンスが生じる余地があります。とすれば、結局、そのチャンスにかけることが妥当な選択ということになります。そしてそのチャンスは、先行者が少ないため、知性と努力という非常に平等的な要因に依存する割合が比較的高いようにも思われます。もちろん、そこには、多数の競業者との激烈な競争はあるわけですが・・・。
世界においても、日本においても、それこそ、これまで当たり前であった構造や価値が「メルトダウン」している 中で、『そこにどのような「戦略マップ」を構想し、そこにどのように自らの「生存領域」を創造していくのか』という困難な課題が、現代に生きる、あらゆる個人、あらゆる組織に対して、突きつけられているように思います。
2011年04月30日のエントリー でも書いたように、東洋の人は、「危機」は「危険」であると共に「機会」である、と考え、西洋の人は、「非常事態(emergency)」の中から「創発(emergence)」が「出現(emergence)」する、と考えていたようです。現実を見つめると非常に厳しい状況のようにも思われますが、私も V・E・フランクルの理論 を踏まえ「Think Future, Imagine Alternative, Create Real!」の精神に基づき、古代の、そして現代の、「機会」や「創発」を志向する方々と同様に、積極的に未来を志向していきたいと考えています。
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振り返れば、日本がバブル経済の頂点にあった頃には、世界においては、既に、20世紀的経済・社会から21世紀的経済・社会への移行・転換が始まろうとしていたようにも思われます。20世紀的経済・社会がどういうもので、21世紀的経済・社会がどういうものかということについては、私がここで簡単に語られるようなものではありませんが(つまり、「20世紀」「21世紀」という言葉を象徴的に使っています)、全世界を覆い尽くすような情報化の巨大な潮流を目の当たりにすると、非常に大きな世界的・歴史的なパラダイムの転換のようなものが1980年代後半から1990年代前半にかけて生じてきた、そして、それが現在も進行中、ということではないでしょうか。そのようにして見ると、日本においては、20世紀的経済・社会の劣化が、地震と津波を契機に「3.11」として顕在化したと捉えることもできます。
過去はともかく、現在、大きな歴史的なパラダイムの転換が進行するという大状況のもとで、歴史の最前線においては、世界の多くの人々が、新たなフロンティアを切り開くべく、その人生を賭けて、猛烈な情熱で知性と努力を注ぎ込み、一刻を争い変化を具現化しようとしている、ということではないでしょうか。そこに伍していくことを考えて、精いっぱい努力して、それでようやく結果はどうかという状況において、「あーだ」「こーだ」と留保を付けている時間も余裕もないように思われます。
経済・社会の環境自体が大きくダイナミックに変化している状況において、現状に留まることは「相対的な退化」に繋がる大きなリスクを負うことになります。もちろん、変化することにも相応のリスクが伴うわけですが、しかし、そこにはチャンスが生じる余地があります。とすれば、結局、そのチャンスにかけることが妥当な選択ということになります。そしてそのチャンスは、先行者が少ないため、知性と努力という非常に平等的な要因に依存する割合が比較的高いようにも思われます。もちろん、そこには、多数の競業者との激烈な競争はあるわけですが・・・。
世界においても、日本においても、それこそ、これまで当たり前であった構造や価値が「メルトダウン」している 中で、『そこにどのような「戦略マップ」を構想し、そこにどのように自らの「生存領域」を創造していくのか』という困難な課題が、現代に生きる、あらゆる個人、あらゆる組織に対して、突きつけられているように思います。
2011年04月30日のエントリー でも書いたように、東洋の人は、「危機」は「危険」であると共に「機会」である、と考え、西洋の人は、「非常事態(emergency)」の中から「創発(emergence)」が「出現(emergence)」する、と考えていたようです。現実を見つめると非常に厳しい状況のようにも思われますが、私も V・E・フランクルの理論 を踏まえ「Think Future, Imagine Alternative, Create Real!」の精神に基づき、古代の、そして現代の、「機会」や「創発」を志向する方々と同様に、積極的に未来を志向していきたいと考えています。
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